2014年12月25日木曜日

雲厳寺の境内

雲巌寺(うんがんじ)は、栃木県大田原市雲岩寺にある臨済宗妙心寺派の寺院。
山号は東山。本尊は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)。
開山は高峰顕日(仏国国師)、開基(創立者)は叟元和尚(寺伝)。
雲巌寺は大治年間(1126年~1131年)に叟元和尚によって開基され、1283年(弘安6年)に時の執権・北条時宗を大檀那とし、高梨勝願法印の寄進のもと仏国国師によって開山されたといわれる。その後1578年(天正6年)に無住妙徳禅師が住職となった折に宗派を臨済宗妙心寺派とした。
建築物は1590年(天正18年)の豊臣秀吉の小田原征伐の戦火で焼失するも数年後には再建され、またその後1847年(弘化4年)に火災に遭うも1849年(嘉永2年)に再建されている。
1912年(大正元年)、築300年を超えた仏堂の改築工事が始まり、1922年(大正11年)に竣工した。
雲巌寺はまた、松尾芭蕉が奥の細道紀行で立ち寄った寺院としても知られ、寺域には当時の住職であった仏頂禅師と芭蕉の歌碑がある。
歌碑には
竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば (仏頂和尚)
木啄も庵はやぶらず夏木立 (芭蕉)
の句が刻まれている。
なお、この歌碑は、1803年(享和3年)に建てられたものを、1879年(明治12年)に再建したものと謂われる。
聖福寺(福岡県福岡市博多区)、永平寺(福井県吉田郡永平寺町)、興国寺(和歌山県日高郡由良町)とともに禅宗の四大道場とされる。
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今日は、友人を伴い旧黒羽町にある臨済宗の雲厳寺を訪ねました。
その佇まいは、大関家の菩提寺「大雄寺」とは、異なりより厳しい空気を漂わせています。
芭蕉の句碑「木啄も庵は、やぶらず夏木立」が、ある所でも知られています。
大きな庭石が、力強くはいちされて、さぞかし名のある庭師の創られたものと思います。
随分と昔からですが、バス停に「おれが危ない」の看板があります。
それを見ると「自分のこと」と思ってしまいます。
手仕事専科では、雲厳寺との直接のかかわりは、ありませんが、その日本の文化を訪ねる際には、避けては通れない仏教の門のように感じます。
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仏堂:1912年(大正元年)、
築300年を超えた仏堂の改築工事が始まり、
1922年(大正11年
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