2012年6月25日月曜日

麻サミット基調講演「今野華都子氏の伊勢神宮に導かれて」から

第1回日本麻フェスティバルandフォーラムin栃木」の2日目の基調講演は、今野華都子さんの「伊勢神宮に導かれて」でした。今野さんの肩書は、㈱アイテラスの代表取締ですが、行っていることは、エスティティシャンです。この麻サミットと何のかかわりがあるのかわからずにおりました。1953年生まれですので、私よりも若干若い方です。お話を聞いているうちに理由が、わかりました。
(講演の概要)
・23才で酪農家に嫁いで23年間農家を行っていた。
・こどもの教育から初めて勤めようと考えた時に睫毛のカールを見て可愛いと思い自分でもやれると思いスタート。
・肌荒れの方をみて、エスティティシャンの講習を受けて、資格を取得する。
・現在まで、ひとつひとつ目の前のことに対応していったことの積み重ねの結果が、現在になる。
・エステティシャンでは、結果を出すことが必要。⇒いろいろと考えてきた。
・技術は、愛情と考えている。
回数ではない、その方に心を沿わせていろいろと考えて選択(=技術)をして対応する。
・見る・看る・観る・・・・全てでみる。思いやること。
・日本人の感性・・・・・四季(自然の四季彩)に培われた感性
               30万色の色を見分けられる感性(日本人)
               風、虫の音色に四季の移りや時を感じることが出来る。
・会社を興した時の従業員教育(年中叱っていた)
誰でもが出来ると勝手に思い込んでいた。⇒ある時「教えていなかった」ことに気付いた
両親から、
周りの方々から教えてもらったこと
神様からもらった物           社会に還元しなければ・・・。
・かつて自分を育ててくれた社会
・父母が教えてくれたこと        今ではもう返せない
                       ⇒後輩を見てすべてが、可愛いと思えた
・技術
・人柄
・後輩を育てられる能力         大切な要素

あるとき伊勢神宮に行きなさいと告げられる。
奇跡
日本人    リスペクト(見えないものに畏敬の念を持つ)
相手を想う
見えないものに気を想う

・いただきます。
・ごちそうさま
・仏様へのお供え
日本人のDNA(意識しないで生きている)
日本人の品性
・感謝
・愛情
・助け合う・絆        この度の大震災で気づかせていただいた
・バブルが弾けて、金ではない
全てを受け入れる。しかし、アイデンティティは失わない ⇒ 日本人
こころと経済の整う
日本人の1000年に一度の震災にあり
・優しい
・美しい
・慈悲のある  人々
・自分の命を輝かせる
・自分の出来ること    こうして生きてゆきたい。
以上

ただの農家のおばちゃんだった方が、46歳を転機にエステの世界に入り、現在では、世界一のエスティティシャンの称号をえて、タラサ志摩ホテル&リゾートの社長を務めています。
望んでなったことではなく、目の前のことをひとついとつ解決してきた結果が、現在に繋がっています。何らかの働きがあってとしか思えません。
私には、貴重な出会いとお話でした。
私の望んでいたお話・鍵が沢山ありました。
有難うございます。
講演の御写真をご紹介いたします。
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2012年6月24日日曜日

日本麻フェスティバルandフォーラムin栃木6/23

今日は、かねてより『日本麻フェスティバルandフォーラムin栃木』6/23・24が、鹿沼市で開催されることから、訪ねました。これは、私の尊敬する麻の生産農家でもあり、そして下野・会津・津軽 手仕事専科の3工房即ち野州麻紙工房(大森芳紀・淳子)、野州大麻麻の葉工房の主でもある大森由久さんが協会長をつとめる「日本麻振興会」が、主催するものです。

私の麻との出会いは、栃木県立博物館元学芸部長であった尾島利雄氏や柏村祐司氏との関係からでした。下野の伝統的な産業であり、その生産者としてまた、その麻から麻紙を作られていることから、野州麻紙工房に大森芳紀・淳子さんを訪ねたのが始まりです。

大森さんの作られる野州大麻・小麻は、すばらしい理念に基づいて復元された大麻(大幣)です。林博章先生の資料に見るように麻の生産がかつての1/10にも減っています。強度や扱い安さの点で勝れた現代的な製品に取って代わられてしまいました。それは、必然でもありますが、現代に自然循環型の製品として、さいど見直すことが出来るのではないかと思います。また、最も重要なのは、麻は、その精神性の現れでもあるということです。

大嘗祭と麁服(だいじょうさいとあらたえ)神事として、天皇家に代々つづく儀式のもとになるのが、大麻であり、大麻から作られる麁服(あらたえ)という被服であり、その秘儀は、天皇家に代々伝わるものです。天皇家は、国家の安寧を願う神主であり、その神事に麻(=大幣・大麻)は、欠かせないものです。麻は、日本の古来からの精神性をささえる穢れを祓う具であることが、その歴史から辿ることが出来ます。

今回の基調講演のお二人は、歴史研究家の林博章氏と国重文化財三木家第28代当主三木信夫氏ですが、ひじょうに格調高い天皇家と麻と穀をつかさどる阿波忌部氏の史実が述べられました。麻と穀の技術が四国徳島県の阿波をスタートにこの下野の粟野町に伝えられていることや、大嘗祭の神事にまつわる麁服の儀式とそれが、南北朝の光明天皇を最後に560年もの間途絶えて、大正天皇の大嘗祭に復活しています。三木家は、阿波忌部氏であり、阿波忌部氏の中心的な家柄です。

歴史家にとっては、必見の講演でした。麻と土偶の紹介をしている私には、優れて納得のゆくお話でした。
日本麻振興会会長
大森由久氏
林博章氏
三木家第28代当主
三木信夫氏
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2012年6月23日土曜日

毛越寺を訪ねました。

幾度か中尊寺は、訪ねているのですが、毛越寺は、訪ねたことはありませんでした。今回世界遺産の認定から、ちょうど南部の手仕事専科の取材もあって、訪ねることが出来ました。大きな境内とその跡が幾カ所もあって、壮大な寺院建造物であったことが分かります。奥州藤原家4代の菩提寺でもあり、その後も頼朝や伊達家の庇護のもとにあったとききますが、度重なる災渦(戦火と野火等)によって、焼失したままとききます。もし、復旧の予定があるのなら、ぜひ往年の姿を見せて欲しいと思いました.
手仕事専科 http://tesigotosenka.com
【白鹿伝説】
寺伝によると嘉祥3年(850)慈覚大師(じかくだいし)が東北巡遊の折、この地にさしかかると一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなりました。
ふと足元を見ると地面に白鹿の毛が点々と落ちているので、大師は不思議に思いその毛を辿ってゆくと、前方に白鹿がうずくまっていました。大師が近づくと白鹿の姿は霧のなかへ消え、やがてどこからともなく一人の白髪の老人が現れ、「この地は霊地であるから堂宇を建立するなら仏法が広まるであろう」と告げました。
大師は、この老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し嘉祥寺(かしょうじ)と名付けました。これは毛越寺の開山にまつわる話です。
【毛越寺縁起】
毛越寺はモウツウジと読みます。通常、越という字をツウとは読みませんが、越は慣用音でオツと読みます。
従ってモウオツジがモウツジになり、更にモウツウジに変化したものです。
毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。
平成元年、平安様式の新本堂が建立されました。
【発掘調査】
毛越寺境内は昭和29年から5ヶ年間にわたって全面的に発掘され、その規模などほぼ全容があきらかにされました。その調査結果は、吾妻鏡などの古記録とも合致するものでした。伽藍復原図は、この発掘調査の資料をもとに画かれたものです。

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